そらの会
年に数回新潟にやってくる友人に会いに行ってきました。
私の友人と、初めての方もあわせて8名と子猫1匹の参加の、そらの会。
まずは自己紹介から始まって、徐々に深まっていくお話はこんな感じ。
あなたは自分の人生を歩いていますか?
そらさんのブログの中でも書かれていますが、
現実の悩んでいること、困っていることに置き換えて、
以下のようなお話を分かりやすく紡ぎだしてくれます。
心のことば
Message1:関係性の間に真実はみえない
Message2:認めてほしい
Message3:魂のエッセンス
Message4:価値観
Message5:葛藤に導いてもらっていませんか?
Message6:ドラマ化を止めてください
Message7:ネガティブはイベントは存在しない
Message8:魂のエッセンス〈無限の愛〉
Message10:魂のエッセンス〈存在することで癒す〉
Message11:求めたものをいただけることが 愛ではありません
Message12:愛すること
Message13:他者を愛することについて
Message14:相手のことを知ることはできません
http://www.sora-ni.com/
たとえば自分がバスの後ろの席に乗っているとします。
二人がけの席に、荷物を脇においてスマホをいじっている学生。
そして立ったままの高齢者。
さてここからどんなことが見えてくるのでしょうか?
あなたは学生に対して
「席を譲ってあげたらいいのに」と思いますか?
けれどもそれは、あなたの人生に関わる選択ではありません。
それは学生の人生に介入する、いわゆるおせっかいです。
ではあなたが学生に「席を譲っては?」と言ったとします。
あなたは、学生が高齢者のために、席を譲ったほうがいいかな?と判断し、
行動するという選択権を、気づきを奪ってしまっています。
いや、本当は席を譲ろうとしていたのかもしれませんよ、
そのスマホが一息ついたらね。
あなたは、高齢者が学生に「席を譲ってください」と言う判断と行動も、
奪ってしまっています。
いや本当は、健康のために、座る気なんてなかったかもしれませんけれどね。
あなたが相手のために思っていることが、相手の全てではありません。
相手のことを分かることはできないのです。
こう思っているのではないかという想像、
こうした方がいいんじゃないかという助言も、相手にとって本意ではないのです。
他者によって動かされた行動が失敗したとき、失敗の原因を他者に求めるでしょう。
そこには行動を選んだ自分と、失敗した事実しかありません。
「相手のせい」というのはどこにも存在しないんです。
バスの後ろの席、目の前にスマホをいじっている学生と、
たったままの高齢者が見える。それだけです。
うーん。
そらさんの話した言葉を書いてみても、私の言葉じゃないので伝えにくい。苦笑
私の言葉で伝えるしかないんだよなー。
「そらさんに会って、話してみる」と簡単なんだけれども。
ぱせりの好きな人だからと、信じて会ってもらうしかないんでしょうね。
そらさんは分かりやすく言うなら思想家、でしょうか。
宗教研究家?心理探求者?
世に言う自己啓発の講師とは、まったくタイプが違います。
今回のお話の中では、
世の中のカリスマたちと、伝道者(布教者)の話がおもしろかった。
思想や叡智を伝えるカリスマたちは、もうすでにできあがっている状態なので、
その方の発した言葉や行動などは、世間一般に人には同じ意味で伝わらない。
というのです。
いや、悟りを開いていたって、開いていなくたって、
他者の想いを同じように感じることなんてできないんです。
それは、自分は自分の人生を歩いているから、です。
似たような感じを想像したり、妄想したりすることはできますが、
人はそうして伝言ゲームのように、
ゆるく違うものへ変化させていってしまうのでしょうか?
自分自身で分かりたい、自分自身で気づきたい。
まずは目の前にある、ゆるがない真実から、自分の人生を歩きます。
そらさんに会ったときは、しっかりしてるんだけど、すぐ忘れるのが玉にキズ。
私の友人と、初めての方もあわせて8名と子猫1匹の参加の、そらの会。
まずは自己紹介から始まって、徐々に深まっていくお話はこんな感じ。
あなたは自分の人生を歩いていますか?
そらさんのブログの中でも書かれていますが、
現実の悩んでいること、困っていることに置き換えて、
以下のようなお話を分かりやすく紡ぎだしてくれます。
心のことば
Message1:関係性の間に真実はみえない
Message2:認めてほしい
Message3:魂のエッセンス
Message4:価値観
Message5:葛藤に導いてもらっていませんか?
Message6:ドラマ化を止めてください
Message7:ネガティブはイベントは存在しない
Message8:魂のエッセンス〈無限の愛〉
Message10:魂のエッセンス〈存在することで癒す〉
Message11:求めたものをいただけることが 愛ではありません
Message12:愛すること
Message13:他者を愛することについて
Message14:相手のことを知ることはできません
http://www.sora-ni.com/
たとえば自分がバスの後ろの席に乗っているとします。
二人がけの席に、荷物を脇においてスマホをいじっている学生。
そして立ったままの高齢者。
さてここからどんなことが見えてくるのでしょうか?
あなたは学生に対して
「席を譲ってあげたらいいのに」と思いますか?
けれどもそれは、あなたの人生に関わる選択ではありません。
それは学生の人生に介入する、いわゆるおせっかいです。
ではあなたが学生に「席を譲っては?」と言ったとします。
あなたは、学生が高齢者のために、席を譲ったほうがいいかな?と判断し、
行動するという選択権を、気づきを奪ってしまっています。
いや、本当は席を譲ろうとしていたのかもしれませんよ、
そのスマホが一息ついたらね。
あなたは、高齢者が学生に「席を譲ってください」と言う判断と行動も、
奪ってしまっています。
いや本当は、健康のために、座る気なんてなかったかもしれませんけれどね。
あなたが相手のために思っていることが、相手の全てではありません。
相手のことを分かることはできないのです。
こう思っているのではないかという想像、
こうした方がいいんじゃないかという助言も、相手にとって本意ではないのです。
他者によって動かされた行動が失敗したとき、失敗の原因を他者に求めるでしょう。
そこには行動を選んだ自分と、失敗した事実しかありません。
「相手のせい」というのはどこにも存在しないんです。
バスの後ろの席、目の前にスマホをいじっている学生と、
たったままの高齢者が見える。それだけです。
うーん。
そらさんの話した言葉を書いてみても、私の言葉じゃないので伝えにくい。苦笑
私の言葉で伝えるしかないんだよなー。
「そらさんに会って、話してみる」と簡単なんだけれども。
ぱせりの好きな人だからと、信じて会ってもらうしかないんでしょうね。
そらさんは分かりやすく言うなら思想家、でしょうか。
宗教研究家?心理探求者?
世に言う自己啓発の講師とは、まったくタイプが違います。
今回のお話の中では、
世の中のカリスマたちと、伝道者(布教者)の話がおもしろかった。
思想や叡智を伝えるカリスマたちは、もうすでにできあがっている状態なので、
その方の発した言葉や行動などは、世間一般に人には同じ意味で伝わらない。
というのです。
いや、悟りを開いていたって、開いていなくたって、
他者の想いを同じように感じることなんてできないんです。
それは、自分は自分の人生を歩いているから、です。
似たような感じを想像したり、妄想したりすることはできますが、
人はそうして伝言ゲームのように、
ゆるく違うものへ変化させていってしまうのでしょうか?
自分自身で分かりたい、自分自身で気づきたい。
まずは目の前にある、ゆるがない真実から、自分の人生を歩きます。
そらさんに会ったときは、しっかりしてるんだけど、すぐ忘れるのが玉にキズ。