どこからが指導で、どこからパワハラなのか。
どこからが個性で、どこからがDVなのか。
判断基準はいろいろあるけれど、本人がそうだと思ったときは、
誰が何を言おうと、本人の世界で決められたことなので、
本人でなければ解決することはできない。
それは認知症となった本人の、
その人側から見ている世界と似ているのかもしれないな。
そんなことを思った昨日。
問題は相手にもあるかもしれないが、自分にもあるかもしれない。
それに気づかないと、きっと、同じことをまた繰り返す。
なんどもなんども、問題が解決できるようになる時まで・・・。

そういえば、1年前の桜の頃に松本市にやって来た。
道の先に、桜のお山(弘法山)を見つけ、そこに行きたいと思った1年後、
松本市を離れることになった。桜のお山にはまだ登れてない。
1年なんてあっという間で、春も夏も秋も冬も、まだ1回しか体験していない。
でも次の場所も、私は探検しながら過ごしていくんだろうな。
さて荷造り荷造り。